2019年4月20日(土)
快晴の「古墳日和」に恵まれ、14名のメンバーで美濃路の古墳群を散策してきました。
霊峰伊吹山を仰ぎながら古墳を見ながら古代を偲ぶ、「大人の遠足」でした(^^)
9:45、JR名古屋駅金時計に集合。ここで12名集まり、2名は現地集合。
JR大垣駅を降り、10:40発の路線バスに乗り込み、住宅街の終点でバスを降り、そこからはひたすら歩きです。

まずは綾戸古墳。直径40mの円墳。看板には7世紀以降の築造と書かれていました。
かつて「熊坂長範(くまさかちょうはん)物見の松」「幣掛(しでかけ)の松」と言われる大きな松が墳頂部にあったとあったとされていますが、今は武内宿禰を祀る石碑が建っています。
(熊坂長範は平安時代の大盗賊。街道を行く裕福な旅人を襲っては金品を奪ったと言われています)。
次に向かったのは矢道長塚古墳。
ここは本日メインの昼飯大塚古墳に先行して4世紀後半に築かれた墳丘長90mの前方後円墳。
昼飯大塚古墳に眠る王の前の王の墓でしょうか。田んぼの中にポツンと残ってました。
後円部はかなり削られ淋しい状況でしたが、ここに2基の粘土槨が確認され、2人の被葬者が眠っていることがわかりました。
主体部からは三角縁神獣鏡、腕輪型石製品、玉類、銅・鉄鏃などが出土しています。

美濃国分寺跡に到着
大きな敷地にびっくり!七重の塔があったとのことです。
ここで、ピクニックシートを広げて伊吹山を眺めながらの昼ご飯。大満足。大人の遠足!!
大垣市歴史民俗資料館では館長さんから弥生時代と古墳時代についての説明を受けました。
人物や鹿や犬が描かれた弥生時代の絵画土器、古墳時代中期の淡輪式の巫女型埴輪等が展示されていました。
昼飯大塚古墳の文化遺産カードもいただき満足!

粉糠山(こぬかやま)古墳へ移動
墳丘長100mの前方後方墳。4世紀紅葉から5世紀初頭の築造と考えられています。
古墳の上が墓地になっていてびっくり!
こんなに大勢の見学者がここに来ることは珍しいらしく、ご近所の方がびっくりしてました(笑)。

本日のメイン!昼飯大塚古墳へ
住宅地の中を抜けるといきなり大きな丘のような古墳が目に飛び込んできて感動しました!
4世紀後葉から5世紀初頭に築造された墳丘長150mの岐阜県最大の前方後円墳。
後円部に竪穴式石室、粘土槨、木棺直葬の3種類の埋葬施設が混在するという珍しい古墳です。
全体を芝生を施し、後円部の一部は復元されていました。
葺石の密度が高くゴツゴツした石が敷き詰められていて、我々のガイドする志段味大塚古墳の隙間が多く平らな石が多いのとは対照的です。
志段味大塚古墳の特徴がよくわかりました。他を見ることで自分がわかるんですね~。
子供たちの格好の遊び場になっているようで、学校帰りの子供たちが元気に走り回っていました。


大塚1・2号墳
一辺20メートルの方墳。5世紀後半の築造と考えられています。昼飯大塚古墳と車塚古墳の間に入る首長墓の候補だそうです。
この地区では昼飯大塚古墳をピークに縮小していき、古墳の中心は揖斐、各務原方面に移るようです。
勢力の中心の移り変わりに思いを馳せます。

車塚古墳は24mの円墳(または方墳)。長さ8メートルの石室が露出していました。築造時期は7世紀の初め頃と推定されています。
この地域最後の首長墓と位置付けられる古墳だそうです。
公園の真ん中の大きな石室がボーンと置かれてあり、異様な風景になっています。

長田(ひがしちょうだ)墳墓群は金生山山麓から派生する標高15~18mの弥生時代終末期~古墳時代前期にかけて築造された墳墓群、古墳群。
弥生終末期から古墳成立期の東海地域の状況をよく示しているということで国の史跡に指定されているそうです。
荒尾古墳に到着。墳長27.5mの前方後円墳。6世紀後半の築造とされています。
ここで帰りのバスまでに1時間ほどの待ち時間ができて、墳頂で談笑したり昼寝したり。まったり過ごしました。

※名古屋駅に戻ったのが午後6時。ここで解散。
あとは有志で飲み会!ビールがうまい!!
飲み会から参加のメンバーも2人合流して、ここでも大いに盛り上がりました(笑)。
大満足の一日でした(^^)