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古墳のある風景

    私達の「心の英雄」 そう! 日本武尊のお話です。

全国各地の古墳で「白鳥」の名が付く前方後円墳・帆立貝古墳・円墳等は日本武尊の説話が伝承されています。「白鳥」=「日本武尊」の関係です。古墳の呼び名も「白鳥」が「しらとり」・「しろとり」と言われています。

 

 守山区には「白鳥塚古墳」、熱田区には「白鳥古墳」があります。熱田区の「白鳥古墳」は、ながいこと熱田神宮が管理していました。

 神社を観(み)ても祭神が日本武尊になっている場合もありますが、ほとんどが合祀で祀られています。三重県の能褒野地区にある多くの神社また、お寺にも本尊とならんで祀られています。そんな姿の日本武尊を考えてみました。

 

   ヤマト大王(天皇)が組織を全国的に拡大していく中で、地方の国を征服するには「その国の首長を悪者にし、住民を助ける」との口実が使われます。そんな戦場では剣や大刀で傷つけられ、殺人が繰り返されています。その様子は住民にとって怖い、恐ろしいイメージしか残りません。

そんななか「記紀」では血の「赤」の残酷なイメージをなくし、爽やかな安心できる「白」を用いたのでないかと思います。また、征服される悪人は地方の名が冠する「00武尊」であり、九州で征伐した「武尊」から、「貴方は私より強い日本の『武尊』と言われ、「日本武尊」が生まれたと言われています。

 「古事記」は選者、太安万侶、語部、稗田阿礼、「日本書紀」は舎人親王・太安万侶(諸説あります)によって成立しました。特に、舎人親王は天武天皇の第五皇子(第三皇子とも)で、天皇家に都合の良いように編集されたものと思われます。

 

 明治維新により王政復古となり「天皇の御代」が広く教育され、そのなかで「日本武尊」が多くの皆さんに浸透し、有名になったと言われていますね。

 

   考古学者は勿論一般の方も実在しない架空の人物と承知されていますが・・・

 

歴史の里マイスターの会

浅井 保司