· 

「奈良の古墳探索」

(1) 纒向遺跡_3 世紀前半の建物跡(辻地区) JR 桜井線巻向駅のすぐ近くに見付かりました。

 

         ・4 棟の建物群―軸線や方位をそろえて建てられた日本最古のもの(主軸が真北より 4~5°西に傾く。)

         ・周辺で確認された祭祀土坑や井戸とともに、ヤマト王権の王宮の構造を知る手がかりとなる。

 

・平成 30 年 3 月に、柱跡に当時と同じ直径約 20 ㎝の柱を立てた。

・土坑からは、モモの種、イネ・アワなどの栽培植物、タイ・アジなどの海産魚、カモ・シカ・イノシシなどの動物の骨が見つかった。細かく壊された土器や木製品も出土した。(パンフレットより)

(2) 纒向石塚古墳―勝山古墳―矢塚古墳-東田(ひがいだ)大塚古墳

・ベニバナの花粉が纒向石

塚古墳付近の 3 世紀中頃の

溝から見付かった。

ベニバナ染めは大陸から

の高度な技術。染物の廃液に

含まれていたか。

東田大塚古墳

・古墳時代の始まり_2 通りの考え方:

① 箸墓古墳の築造からスタート。

② 纒向遺跡全域の中にある纒向石塚古墳・勝山古墳・矢塚古墳・東田大塚古墳そしてホケノ山古墳

(箸墓古墳より古い前方後円墳形の墓)からスタート。

②の古墳を弥生時代の墳丘墓とみると①が有力。


(『邪馬台国からヤマト王権へ』橋本輝彦、白石太一郎、坂井秀弥、ナカニシヤ出版2014)より

(3) 箸墓古墳(墳長 280m) 写真では雲がよく見えますが、古墳は暗い森の中。

・三輪山の麓、ヤマト政権発祥の地に築かれた。築造当時(3世紀)では最大の墳墓。

・最初の巨大古墳(全長約280m、後円部:径約160m、高さ25m、前方部:幅約140m、高さ15m)。

 

第一印象。思っていたほど大きく見えませんでした。期待過度か。周囲をめぐると、やはり大きい!

ミューオンによる古墳内の空洞の探索関連施設か?空洞より埋葬施設の長さ、向き、後円部での位置を探ります。

・ミューオンとは_地球外からの宇宙線が大気中の分子にぶつかり発生する素粒子。地上では手のひらサイズに毎秒1個ほど降り注ぐ。

透過性が強く、浅間山の火道(マグマの通り道)やギザのピラミッドの内部の物理探査に用いられている。


(4)ホケノ山古墳

・石積槨木棺墓

南北に全長約10m、幅約6m、

高さ1.5m(天井石なし)

画文帯神獣鏡1枚、三角縁神獣鏡なし

(『最初の巨大古墳 箸墓古墳』清水眞一、新泉社 2007)

 

JR 線をまたいで、カマボコ型踏切がありました。

(看板には「トレーラー等の通行は危険」)

(5)渋谷向山古墳(伝景行天皇陵)_4世紀中葉(墳長300m)

・前方部の濠のみ堤を高くして、近辺の水田への灌漑用の水を溜めている。

・後円部_最上段が特に高い。

箸墓古墳では5段共に同じ高さ。

(6) 行燈山古墳(伝崇神天皇陵)_4 世紀前葉(墳長 240m)

・幕末に前方部の濠のみ堤を高くして、全体の濠を掘り下げ、池としての機能を拡大した工事がなされている。

 

周濠を囲む外堤を周回できます。

(7) 山の辺の道、そして遠くに二上山(にじょうざん)

万葉集にある

 

百伝(ももつた)ふ磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや雲隠りなむ    大津皇子(3・416)

 

 

うつそみの人なる我や 明日よりは二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)

と我(あ)が見む  大伯皇女(おおくのひめみこ)(2・165)

 

の歌を思い浮かべながら歩きました。

 

・上は、弟の辞世、および皇子の屍を二上山に移し葬る時に姉が悲しんで作った歌。

・大伯皇女と大津皇子は天武天皇と大田皇女との間の子で、姉弟。姉は伊勢神宮の斎宮となり、弟は天武天皇が崩じた15日後、謀反を企て、発覚し死を賜る(686年)。 

(8) 黒塚古墳_3 世紀後半: 竪穴式石室と三角縁神獣鏡(33 面)

・前方後円墳(全長約134m)。後円部に全長約8.2mの竪穴式石室があり、三角縁神獣鏡を中心に多くの副葬品が見つかった。

・石室中央には長さ6m、直径1m以上のクワの巨木をくり抜いた木棺が使用されていた。

・鏡は、直径が平均して22㎝、重さが1㎏にもなり、裏側には中国の吉祥句を記した文章や、神仙・霊獣などが表現されている。


以上、旅程はM.F.さんによって企画されました(ランチの三輪そうめんや帰りの休憩時のシソジュースも含めて)。黒塚古墳への尽きない興味はT.M.さんにより喚起されました。つたない文章・写真はYo.O.によるものです。