近鉄飛鳥駅前でサイクルを借りました。
まず猿石のある吉備姫王(きびつひめのおおきみ、斉明天皇の母)墓を目指します。
猿石は江戸時代にすぐ近くの欽明天皇陵(梅山古墳)の南の田から掘り出されました。二面石のものもあります。また鬼の雪隠(せっちん)や鬼の俎板(まないた)は、欽明天皇陵に関わりのある石室の蓋や底石ともいわれています。
天武天皇・持統天皇合葬陵はまわりをめぐると、より大きな古墳を彷彿とさせます。飛鳥寺の隣には、入鹿の首塚があり遠くの山も望むことができます。
犬養万葉記念館:備前焼のコーヒーカップを片手に、犬養孝による万葉歌の説明を聞きました。
采女(うねめ)の 袖吹き返す 明日香風 都を遠み いたづらに吹く 志貴皇子(巻1―51)
万葉の鶴(たづ)の歌の朗唱もはいります。
桜田へ 鶴鳴き渡る 年魚市潟 潮干にけらし 鶴鳴き渡る 高市黒人(巻3―271)(持統上皇三河行幸702年)
若の浦に 潮満ちくれば 潟をなみ あしべをさして 鶴鳴き渡る 山辺赤人(巻7―919)(聖武天皇和歌の浦行幸724年)
次はいよいよ石舞台古墳です。外からも内からもその圧倒的な石の大きさや石室の大きさを満喫できます。
遠からぬ所には都塚古墳があります。一辺41mの階段ピラミッド状の方墳(6世紀後半)で、横穴式石室の中に刳貫(くりぬき)式家形石棺を置いています。それは二上山からの凝灰岩です。
人力サイクルではややつらいですが、しばらく車の道を辿っていくと、きれいな棚田(稲渕棚田)を眺めることができます。傍らには野草の花が多くあります。
さて、キトラ(亀虎)古墳の壁画が特別公開されている四神の館に到着しました。天井の天文図と西壁の白虎の公開です。
天文図で北斗は見えますが、10分間では残念ながら詳細を確認できません。オリオン座(参宿しんしゅく)の四つ星(ベテルギウスなど)が中国の星座では虎の手足にあたります。天の赤道、黄道(太陽の通り道)のほか、内規(一年中見ることのできる星の範囲)や外規(一年のいずれかで見ることのできる星の範囲)が4つの大円で示されている精密な星図です。白虎は高松塚古墳の壁画と同じ姿をしています。
なお、ここは直径が下段13.8m、上段9.4mの2段築成の円墳(7世紀末~8世紀初頭)で、石室の石材は二上山産です。
最後は、整備中の牽牛子(けんごし)塚古墳。遠くから3段築成が見られます。終末期(7世紀中葉~8世紀初頭)の八角墳(一辺:一段目10m、二段目7m)です。刳貫式横口式石槨には墓室が2つあり、中から夾紵(きょうちょ)棺(麻布を漆で何重にも目貼り重ねた棺で、着物を入れます。)の断片や七宝金具が見つかっています。一説によると被葬者は斉明天皇。なお、牽牛子とは平安朝に伝来した朝顔のことです。
久しぶりのサイクリングも無事終了しました。
「改訂新版 万葉の旅 上」(犬養孝、平凡社2003)
「中西進と歩く万葉の大和路」(中西進、ウェッジ2001)を参照しました。 (新生イケメンクラブ)