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「疑問に学ぶ」

 熱中症警戒アラートが愛知県内に発令中の志段味古墳群―。

 1時間のガイド予定を縮め、小学生の団体を志段味大塚古墳に案内した。墳丘上に並んだ朝顔形埴輪を見た児童から質問。

 

「何故、この形ですか?」

 

 埴輪の起源と変遷はさておき、朝顔形埴輪は「器台の上に壺をのせた形状を一つの土製品として表した埴輪(中略)上部は口縁部が大きく朝顔形に開く壺形土器の口頸部から胴部上半までを写し、下部の円筒部分は円筒埴輪つまり器台を写したもの」(『日本考古学事典』三省堂、2002年)「円筒埴輪列中において、親柱のように立てられたりしている」(『新日本考古学辞典』ニューサイエンス社、2020年)。

 

 アサガオは夏の朝を彩る花。奈良時代末期、遣唐使が中国から種子を持ち帰り、薬用に使われていたらしい。ただ、『万葉集巻第十』にもこの花を詠った一首がある。「朝顔は朝露負ひて咲くといへど夕影にこそ咲きまさりけれ」 

 中西進の『万葉集全訳注原文付(二)』(講談社文庫、2019年第37刷)では「朝顔の花は朝露にぬれて咲くというけれど、夕方の光の中にこそ、一層美しく咲くことだった」と訳す。朝、花が開くからアサガオ。夕方まで咲くというので、中西は「キキョウか」とみる。「万葉集」に登場のこの花はムクゲとの説も。

 

 埴輪に朝顔の名がつけられたのは、その形状から。研究史をたどると、命名は戦後のようだ。「朝顔花形埴輪」と称していた研究者もいる。

 ボランティア仲間にこの話をしたら、奈良県・明日香村の終末期の牽牛子塚(けんごしづか)古墳を教えてもらった。八角墳で国の史跡。飛鳥時代の女帝で天智・天武天皇の母、斉明天皇(皇極天皇)陵に推定されている。アサガオは中国では「牽牛花」(けんぎゅうはな)、種子は「牽牛子(けにごし、けんごし)」と呼ばれ、大切な牛を牽(ひ)いて薬草の朝顔にかえた、という故事に由来するそうだ。この古墳は「あさがお塚」とも称されたとか。

 『岩波古語辞典増補版』(2000年)の「あさがほ」によると、「㋑今のキキョウ。㋺今のムクゲ。輸人植物で美しかったので、それ以前にキキョウにつけられていた『あさがほ』の名を奪ったという。㋩今のアサガオ。平安時代に中国から渡来した。もとの名は牽牛子(けにごし)。その実を薬用にした。ムクゲより一層美しかったので『あさがほ』の名を奪った」とある。「牽牛花」でなく「牽牛子」がアサガオの名前と記し、日本に伝わったのは平安時代という。諸説あり、アサガオは古くは特定の花の名ではなかった。

 

 小学生の疑問をきっかけに、いくつかのことを学ぶことができた。これもボランティア活動の喜びと思う。「牽牛星」は彦星、その七夕も間近。 (岡村)