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現地学習「可児市の古墳巡り」(10月2日)

 暑さも和らぎ、歩き旅には最適な10月、のはずがまさかの30℃超え予想。それでも天高く青い空に、新入会員も含め27名が心躍らせマイクロバスに乗り込み、午前9時20分、可児駅前を出発。

 川合考古資料館で、可児市文化財課の長江先生と合流。展示室に入ってまず目にするのは、鳥つまみ蓋付須恵器です。葬送儀礼に使う特殊な器で、脚付の壺に4つの小壺が付いています。壺の蓋には、7羽の水鳥が付いています。長江先生は、尾羽の形から鴨(カモ)と推測。中央にいるのは、「親ガモに乗る子ガモ」のように見えてきませんか? 

 

  同じく、宮之脇11号墳出土の円筒埴輪は、見覚えがある容姿。それもそのはず、志段味古墳群と庄内川を挟んだ位置にある下原古窯で焼かれたものが運ばれたとか。

 資料館に隣接する川合次郎兵衛塚1号墳へ。戦国時代、織田方から攻められて鵜沼から逃げてきたジロザエモンがこの塚に逃げ込んだのが名前の由来だとか。石室内を見ると、川原石が水平方向に規則正しく並んでいます。この場所は河岸段丘上で掘れば川原石が出てくるそうです。

 次は4世紀中頃に築造、墳丘長72mの前方後円墳長塚古墳へ移動。この辺りは、古墳時代前期の古墳が集中しており、3基の古墳を「前波(まえなみ)の三ツ塚」と呼んでいます。後円部の発掘調査では、粘土槨の上部が確認されました。竪穴系の埋葬施設では、木棺が腐って粘土槨が落ち込み、地面も凹みます。長塚古墳では凹みがないので、木棺がそのまま残っている可能性があります。ひょっとしたら、「三種の神器が眠っているかも⁉」と長江先生の言葉に私たちの期待は膨みます。しかし、「国史跡に指定されているため、発掘調査はされないでしょう」の言葉にがっかり。

 長塚古墳から前方後方墳の西寺山古墳は、すぐ目の前です。犬山市の青塚古墳からも出土した壺形埴輪がここでも確認されています。少し歩いて住宅地にある野中古墳へ。

 

 午前中見学の最後は熊野古墳。横穴式石室が露出しています。柵で囲まれて普段は入れませんが、この日は天井石に登って、その大きさを実感 ‼ 

 道の駅「 可児ッテ」でランチタイム。

 

 午後まず見学した柿田遺跡は、弥生時代から中世にかけての集落や水田跡の遺跡です。土器2万点・木器2千点が出土し、今も発掘調査中です。水につけて保存してある木器を見せてもらいました。火きり臼は手に取って観察。弥生人が火おこしした遺物に感動です。

 古墳時代終末期の横穴墓を3か所続けて巡ります。神社の背後の山を少し登って羽崎中洞(はざきなかぼら)古墳に。横穴墓というと頭を下げて入ることが多いのですが、横穴式石室かと思うほどの大きさ!凝灰質砂岩でできた山の斜面をくり抜いて造られた横穴墓は全長14.1m、玄室の高さ2.9m、奥行き4.7mほど、幅4mほどあり、我ら全員入れそうな広さ。加工しやすい砂岩とはいえ、よく掘ったものです。

 羽崎中洞古墳と似た横穴墓が3つ並ぶ、二野鍋煎(にのなべいり)古墳へ。草むらをぬけ待っていたのは、古墳ではなく、やぶ蚊とひっつき虫でした‼ 最も大きい1号墳は、羨道部の長さ1.7m、玄室の高さ2.4m、奥行き4mほど、幅3.8mあります。

 

 分かりやすく、面白いエピソードを交えながら1日解説して頂いた長江先生とは、ここでお別れ。愉快な我らの仲間が音頭を取り、一本締めでお礼を表しました。

 

 最後に、大森皿屋敷古墳へ。道路から草むらの隙間に、横穴墓の小さな穴がいくつか開いているのを確認。普段は閉鎖されている古墳内部を特別に見学でき、〝満腹感〟いっぱい、マイクロバスの移動でさほど疲れず、4時過ぎに可児駅で解散しました。