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「月下美人」で思い出した

 今回も「花」の話からスタートします。

 あの強い、甘い香りを放つ「月下美人」が花開いた。この花は、友人から頂いた2株であり、もう20年近くが経過した。10年ほどが経過してから、挿し木をして増やし、現在は7株となった。頂いた頃は、手入れが分からず、果たしてあの1晩だけ真っ白な、強烈な、甘い香りを放つ花が咲くのか否か不安であった。さいわい3年目頃からであろうか、花開いた。この時は、大変うれしかったことを記憶している。

 今年は8月初めに、21輪の花が開いた。その後、なかなか咲かない。ところが、2週間ほど前にたくさんの蕾が出てき、3日前に一斉に花を開いた。これまでで最も遅い開花であった。

 

 さて、話を表題に戻そう。

 第1回の新人向け講座時に頂いた「深谷 淳著 志段味古墳群の実像」を時々読んでいる。その中でこの言葉に出会った。かつて聞いたことがあるので、「古代」「古墳」をキーワードとして、本箱を探した。すると、1998年にNHK教育TV(現Eテレ)で放送された「人間大学」の「古代国家の胎動(講師 都出比呂志(大阪大学名誉教授))」のテキストを見つけた。その中で古墳時代には3回の「首長系譜」があったと記述されている。

 都出さんは、冒頭で「首長墓系譜」について下記のように述べている。

 「一般に前方後円墳などの首長の墓は、1基単独であることは珍しく、2,3基の墳墓が代替わりごとに同じ場所に営まれます。これを首長墓系譜あるいは首長系譜と呼んでいます。」そして、その3回とは、

 

 第1回:4世紀末から5世紀初頭 それまである系譜が前方後円墳を代々築いていたのに、古墳を築造しなくなったり、円墳しか造らなくなったりします。と同時に、このような変化のあった系譜のすぐ近隣の、別の系譜の首長一族が大きな前方後円を築造するという変動が起こるのです。(中略)これは、一つの地域を治める首長が交代したことを示します。(中略)大和を根拠地とした政権中枢と、これを支える地方の有力首長の同盟が、河内に拠点をもつ政権中枢とそれ

を支える別の地方有力首長の同盟によって政治的イニシアティブを奪われたのだ・・・(以下略)

 

 第2回:5世紀後葉:各地の首長系譜に再び変動が起こり、系譜の断絶するものが多いのです。途絶えた首長系譜の根拠地のすぐ近隣に新しい首長が古墳を築造する事実は、地域の支配者が交代したことを物語ります。(中略)この5世紀後葉に断絶した首長系譜の多くは、5世紀前半には河内を拠点とする政権中枢と親密な関係にありました。・・・(以下略)。

 

 第3回:6世紀前半:雄略大王なきあとの6世紀前半には大きな変化が現れました。古墳の動向に注意すると、この時期、各地で第3回目の首長系譜の変動が起きます。この中で5世紀後葉に一時的に断絶した首長系譜が復活する地域が多いことは注目されます。・・・・(中略)6世紀前半は、5世紀後半における雄略政権の中央集権策に対する一時的反動の嵐が吹き荒れた時代ということができます。(以下略)。

 

 これに対して、志段味古墳群の場合の古墳群の変遷は、どうか?「深谷 淳著 志段味古墳群の実像」を読むと、3つの時期が説明されている。(同書20ページ)

①前期中葉~後葉(4世紀前半~中葉) 前方後円墳首長墓と円墳の組み合わせ

②中期中葉~後期前葉(5世紀中葉~6世紀前葉) 帆立貝式古墳を採用した2つの首長墓系譜

③後期後葉~終末期(6世紀後半~7世紀) 横穴式石室を埋葬施設とする群集墳

 

 中央の動きが志段味にどのように影響を与えているのか、知りたいものである。

 

2022_10_27(新入会員  原 記)