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「来る年に祈る」

 古代も今も、人の情感は変わらないのではないか。うれしい時はいつの世でも心が弾む、悲しい時はうちひしがれる。

 

 年の瀬、喪中の挨拶状が届く。親友の他界をいまだに信じられずにいる。独身時代は酒をくみ交わし、語り合い、いくつか本を薦めてもらった。最近は年賀状で安否を確かめ合う付き合いだったが、急に体調を崩したらしい。

 「世の中は 空(むな)しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり」― 万葉集巻第五の巻頭にある大伴旅人の「凶問に報(こた)へたる歌一首」。万葉集を編んだ大伴家持の父で、大宰府の長官を務め、令和の元号の由来となった歌で知られる。

 詞書によれば、都から凶事の知らせが届く。大宰府に伴った妻に先立たれた後で、不幸が重なった。亡くなったのは、旅人の弟、あるいは妹の夫、天武天皇の皇女とも解釈される。「空しさ」は仏教概念だから、普通に言う「空しさ」とはニュアンスが違うが、悲哀の心が胸をうつ。

 

 親友の夫人からの手紙では、本人のかねての考えで、お別れは限られた形で営んだようだ。形式にとらわれず、故人にふさわしい葬送をと、家族だけの葬儀が一般化している。ここ数年はコロナ禍で制約されていることも多いであろう。

 万葉集巻第五には「「凶問に報へたる歌」の後、大宰府の旅人の家で、開花した梅を囲む宴会の歌が載る。「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ…」の「梅花の歌序」から、令和の元号が生まれたという。元号の考案者とされる中西進さん(万葉学)の口語訳では「時あたかも新春の好き月、空気は美しく風はやわらかに…」。

 

 来る年は悪疫が収束し、戦火が止み、令和にふさわしい世の中であってほしい。

                                    (岡村)