文字の知識と見聞の知識

 今回も花の話題から入りますが、今回の花は生花ではなく、「折り紙」のバラです。

このバラの花は、昨年(2022)年の1月に東区生涯学習センターでの「折り紙教室」講座で習ったものです。4回にわたってのコースでしたが、毎回講師の説明についていけず、家に帰ってからインターネットで調べながらの悪戦苦闘でした。結局講座は終了してしまい、さらに1ケ月ほどを要して完成することができました。このバラの折り方は、「福山ローズ」といい、広島県の福山工業高校の生徒たちが考案し、公開しています。

 さて、今回のテーマは、1月24日に開催されました新入会員研修「守山台地の古墳を巡る」の紀行です。

当日は、今冬最強の寒気が東海地方にも南下し、雪が予想されていました。守山生涯学習センターを出発する時には、見上げる空は、黒い雲が次々と流れ、冷たい北風が吹いていました。

最初の古墳は、主軸をほぼ南北にとる守山白山古墳です。先輩講師が後円部の端からの歩数をカウントするようにと言い、前方部までの歩数に歩幅を掛けて墳長を算出できることを教えていただきました。古墳の説明の中に織り込みたい1つです。

当日戴いた資料「守山台地の古墳」を読むと、「矢田川右岸に発達した河岸段丘である守山台地の西端に位置する。」と記されていますが、この古墳あたりから見える矢田川がずいぶんと深いところを流れています。

前方部側から階段をのぼり、後円部を見上げます。すると、再び先輩講師が「小高い所にある神社は、古墳の上に建てられていることが多い。」との説明。これも記憶しておきたい知識でした。さらに、この古墳の住所である「市場」に関わる信長などの由緒もガイド内容に厚みを持たせる知識です。

続いて、守山瓢箪山古墳へ。この古墳は周囲が柵で囲われ、中には入れません。古墳の周囲を半周するが、木立で覆われており、墳丘がなかなか見えません。木々の間に目を凝らすと、資料にある「2段築成」かと思える墳頂が見えたように感じられました。果たしてどうでしょうか?

瓢箪山古墳から3番目の小幡長塚古墳までは2キロ余歩かなければなりません。風が冷たく、強くなったように感じましたが、皆さん元気です。

途中の守山区役所近くの小さな公園に、「名古屋航空学校跡」の案内板が立てられていました。先輩講師がこの史跡を投稿されたとおしゃっていました。このあたりは広々とした草地が広がっていたのだと頭の中でその光景を想像しました。

 3番目の小幡長塚古墳に到着しました。資料には、この古墳は盾形の周濠をもつ前方後円墳と書かれています。また、資料の墳丘平面図では、造出しをもったよく見られる古墳ですが、内濠と外濠、とくに大きな外濠が目を引きます。墳長74m、後円部径42m、前方部幅48mという大きさの古墳でも二重周濠をもつことに意外さとともに、被葬者はどんな人であったのかと思いました。古墳の周囲を半周ほどしましたが、先輩の皆さんが異口同音に「木が切られて、墳丘がよく見える。」と言われていました。わたくしなどは、なんのための伐採なのか?と感じました。また、前方部側は宅地造成が迫っており、そのあたりも外濠だったのだがと、唇をかみました。

4番目の池下古墳は、現存していません。先輩講師の説明では、「たくさんの遺物」が出土しました。資料でも、前方部に円筒埴輪が全周していたと説明されています。203号に架かる橋の上から見下ろす古墳跡を見ながら、資料にある墳丘測量図を見比べました。

風が一層冷たくなってきました。最後の小幡茶臼山古墳は、203号の橋を渡り切った右手にあります。重機によって切られた古墳は、痛々しい感じを抱きました。この古墳は、左片袖式の横穴式石室を持っています。先輩講師に詳しい説明をしていただきましたが、初心者のわたくしには、東谷山白鳥古墳の無袖式の横穴式石室との違いを調べなければと感じました。

風が強くなってきたばかりではなく、気温も下がり始めましたが、先輩講師が「測量図の等高線の間隔は25cmであるから、測量図から古墳の高さなどがわかる。」と話し、最後に今日の見聞きしたことをレビューするようにとのアドバイスをいただきました。

2時間を超える研修でしたが、文字の知識だけでなく、目と耳からの知識をたくさんいただいた時間でした。帰りの名鉄・瀬戸線は、車内の暖かさだけでなく、心も頭も暖かくなったように感じました。

最後になりましたが、先輩諸氏の皆さん、とくにガイドをつとめていただいた講師の皆さんにお世話をおかけしました。まことにありがとうございました。

以上

2023_01_26   新入会員・原記