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尾張低地部最大級の古墳群 浅井古墳群をぶら歩き 一宮博物館での学芸員解説と 今伊勢古墳群(オプション参加)

 令和5年9月30日(土)  会員22人の参加で行いました。当日のお天気はお彼岸を過ぎたにも関わらず、今年の夏を象徴する様に30度を超える陽気となりました。ぶらぶらと古墳群を散策する計画が、一汗、二汗と汗だくの散策で全員グロッキー気味でしたが半数の会員が、オプションもこなし無事に終了する事が出来ました。

 

 先ずは一宮博物館を訪ね、浅井古墳群と今伊勢古墳群について学芸員より解説を頂き、午後の探訪の事前知識を得てからのスタートです。

 

 一宮駅で参加者各々でランチを取り、名鉄バスに乗車、日頃のバスは空いていているのに、今日の混雑は?と乗客の方は少々困惑気味。

 

 約30分の乗車で、ぶら歩きのスタート地点大野に到着です。

 

 浅井古墳群は尾張の北部、一宮市浅井町に位置し、地理的には木曽川左岸の自然堤防上(北古墳)および犬山扇状地末端の微高地上(南古墳)に展開している。

 北古墳群は、滅失したものも含めて約50基、南古墳群は約20基とされ、北古墳群に2基の前方後円墳があるが、殆んどが終末に築造された円憤で、尾張低地部において最大の群集憤である。その中で、北古墳群に5基が現存し、愛知県の史跡として指定されている。

 

今回のぶら歩きは、北古墳群の5基と尾張名所図会にもある、移築された人麿塚古墳の散策です。約1.5時間の散策順は

 

①人麿塚古墳(18号憤)

昭和8年の道路工事の際に発見され、現在の場所に移築。

被葬者は、天武天皇に仕えた葉栗野臣人麿と伝えられている。副葬されいた金色の馬具は貴重である。

 

②愛宕塚古墳(20号憤)

前方後円憤だが、前方部が道路で絶たれ直径6.5m後円部のみが民家に囲まれて、わずかに残っている。

 

③毛無塚古墳(10号憤)

直径38mの円憤で、当古墳群の中で最大な盟主憤。周濠、葺石、埴輪が確認されている。

 

④岩塚古墳(14号憤)

直径15mの円憤。昭和33年の発掘調査で、家形石棺が発見された。

発見された石棺の実物は一宮博物館に保管、展示されている。現地にはレプリカが置かれている。

⑤桃塚古墳(4号憤)

直径15mの円憤。あまり原型をとどめていない。

 

⑥小塞神社古墳(1号憤)

前方部は西に向き、後円部の憤頂に社殿がある全長32mの前方後円憤。

主祭神は天火明命で、この古墳の被葬者は小塞宿根弓長(尾張氏一族)の憤墓と伝えられている。

 

小塞神社古墳は、他の古墳と違い鬱蒼と森に囲まれ、中に入るとヒンヤリと冷気を感じる。休憩を取りたかったが、蚊が多く早々に退散。

 

 尾関のバス停迄数分で到着し、予定のバスに乗車して一宮駅で現地解散となりました。

 

 次に、オプション企画として浅井古墳群の南部に位置する、今伊勢古墳群を11名の参加で訪ねる。

 

 今伊勢古墳群は、日光川の右岸の自然堤防上に位置し、かっては19基あったが、現在は7基が現存している。

この古墳群の特徴は古墳時代中期のでんやま古墳(消滅)、今伊勢車塚古墳(前方後円憤)、野見神社古墳と終末期の西口社古墳、上町屋古墳の大きく2期に分かれている。

 この中で、今伊勢車塚古墳とその古墳に大いに関連がある酒見神社をオプション企画としました。

 

 先ずは、名鉄一宮駅より一駅の今伊勢で下車し、酒見神社迄15分。

 くもりがちになったが、むし暑く足どりも重い。

 

 酒見神社は垂仁天皇の皇女である、倭姫命が伊勢に入り前に当地に立ち寄り、この地より遠く伊勢をご覧になったとの伝えがある尾張中島宮の地である。この神社は、今伊勢車塚古墳より出土した四獣鏡を所蔵している。叉、本殿は北側に位置する今伊勢車塚に方位を向け、参拝すればその先は伊勢神宮と言われいる。かって、この地は裳昨(もくい)氏と言われる地方豪族がおさめていた本拠地とも言われている。

 今伊勢車塚古墳は推定70mの前方後円憤で、後円部の34m、高さ4mが現存している。築造は5世紀前半で被葬者像は当地の豪族であった裳昨氏が有力視できる。出土品は鏡3枚、勾玉、管玉等で一宮博物館、酒見神社、個人蔵に所在する。

 

 ふたつの関連を感じながら、車塚古墳より今伊勢駅まで約15分、むし暑さに耐えて帰路につく。

 

 今回の現地研修は、近くて、ゆるい古墳巡りを企画致しましたが、予想外の暑さに参加者はヘトヘト。

 そんなコンディションの中で、全員脱落者もいなく目標を完遂です。

 

 皆さまお疲れ様でした。感謝です。