奈良古墳探索シリーズ 御所市

 奈良県西南部の御所(ごせ)市を訪れました。7回目となるメンバー3名による奈良の古墳巡り記です。是非ご覧ください。

 

近鉄御所市駅から南に向かい、室(むろ)宮山古墳を目指します。

まずは全国のカモ神社の中心ともいえる鴨都波(かもつば)神社をお参りしました。 

次に野口神社。蛇の綱引きが有名。藁で組んだ15mほどの蛇を引きまわす祭りです。このあたりの地区名「蛇穴」は葛城を北流する葛城川堤沿いに位置する地名で「さらぎ」と読み、「今来(いまき)」つまり新参者を意味するようです。御所市の中央部は旧秋津村で、以前は「秋津洲(あきつしま)」と呼ばれ、日本発祥の地といわれています(神武紀31年の条)。

       ネコ塚古墳       

 西に金剛・葛城の雄大な山並みを見ながらさらに南に進んで行きます。ネコ塚古墳は5世紀初~前半の方墳(1辺70m)。室宮山古墳の陪冢で、外堤にのるように築かれています。刀剣、鉄鏃、三角板革綴(つづれ)短甲などが出土。ネコ塚の名称は蛇から身を守ってくれる猫と関連しているのかもしれません。 

近くの八幡神社の背後には室宮山古墳があります。5世紀初頭の前方後円墳(墳丘長238m、後円部径148m、前方部幅152m)。後円部の埋葬施設は南北に二つあり、板石積みの竪穴式石室に竜山石製の長持形石棺が納められています。石室を取り囲む方形に埴輪列が幾重にもあり、南石室の外側の埴輪列では甲冑・盾・靭(ゆぎ)形埴輪が外側を向けています。

    室宮山古墳の靭(ゆぎ)形埴輪

        南石室

南石室の入口は覗くことができ、長持形石棺の穴は盗掘穴の跡にように見えます。石室からは三角縁神獣鏡、甲冑、刀剣などの破片が見付かっています。被葬者は、対朝鮮外交で活躍した葛城襲津彦(そつひこ)ともいわれており、『百済記』からもその実在性が高いと思われます。 

あたりを見回すと、白色の石が見付かりました。アケビの実とともに映像に残しました。

       白色とあけび

あたりに食べ物屋もコンビニもなく、日本一のタイ焼店に入り昼食とした。注文後に作るためか、アツアツ、カリカリでおいしくいただけた。

       昼食のタイ焼き

次は近くの御所市文化財展示室へ。まずは「くまひこ君」がお出迎え。 

古墳時代前期の鴨都波1号墳の出土品が展示されていました。

       くまひこ君

ここでは自称日本一の美人受付嬢と日本一の錆取りの名人といわれる学芸員さんと近辺の古墳、遺跡について多くの楽しい話を聞くことができました。また予定していた巨勢(こせ)古墳群は「受付嬢」から「整備されていないのでとても入れないよ。」と言われ断念しました。後でネット検索すると「錆取り名人」はG文化財研究センターで数々の遺物(特に鉄類)を修復・復元したエキスパートと知り、もっとたくさん修復などについて話を聞いておくべきだったと悔やまれました。

       鴨都波1号墳の埴輪

帰りは巡回バスで一気に御所市駅まで舞い戻り、続いて葛城川沿いの御所市小学校まで歩き、傍にある万葉歌碑をながめていました。そこに現れた「ポチ」はちょうど子供の頃飼っていた「ポチ」を思い出させる犬で一瞬胸が熱くなる思いでした。

 

  春楊 葛山 発雲 立座 妹思               (巻112453

春楊(はるやなぎ) 葛城(かつらき)山に たつ雲の 立ちても坐()ても 妹(いも)をしそ思ふ 

 (春の楊を(かずら)にする葛城山に湧き立つ雲のように、立っても坐っても妻をこそ思うよ

 

32音の歌をたった10字の漢字によって表記しているのには吃驚しました。 

こうして無事に御所市の古墳探訪を終えることができました。    (新生イケメンクラブ)

        万葉歌碑とポチ