大阪・奈良方面への研修旅行(2023年12月24・25日)

1日目は柏原(かしわら)市を巡るコース(玉手山古墳群・松岳山古墳・高井田山横穴・高井田山古墳・柏原市歴史資料館)でした。

大和川と石川の合流地点の東南にある丘陵地に玉手山古墳群はあります。ここは前方後円墳が10基以上も密集している珍しい古墳群です。近鉄国分駅から、坂道を登り7号墳に向かいました。住宅街を抜けると一転、静寂な雰囲気に変わり玉手山の頂上に到着しました。7号墳は墳長110m、上からの形も横からの形も行燈山古墳と相似の形状だそうで、後円部墳頂には大坂夏の陣の戦死者供養塔が建っていました。首長墓らしい場所と大きさでした。

安福寺に向かう途中の参道では素晴らしい紅葉を見ることができました。安福寺には玉手山3号墳で出土したと言われている割竹式石棺の蓋が置いてあります。上下逆さまの状態で置かれていて手水鉢のように見えました。香川県産の凝灰岩で側面には直弧文の線刻を見ることができ、すっきりとしたスマートな石棺でした。石棺の身の部分は・・・気になるところです。 

寺門を出て緩やかなカーブを下ってくると両側に横穴が見えてきます。雰囲気は山の中のハイキングコースのようで静かな場所です。横穴が連続してあり、その数の多さに驚きました。初めて横穴に入いり、広さや高さなどを体感しました。造り付けの石棺のある横穴があったり、土嚢を積んで横穴が崩れるのを防止している箇所もあったりしました。戦時中には防空壕として利用していたかとも思いました。凝灰岩は石の中でも柔らかいといわれていますが、古代人は石の加工技術に長けていたことを実感しました。

 安福寺横穴
 安福寺横穴

古市古墳群への遠望
古市古墳群への遠望

3号墳を回り込みながら歩くと西側には応神陵・仲姫命陵・允恭陵が見えます。玉手山の古墳造営技術が古市の古墳造りにつながっていったことを教えていただきました。立派な古墳が並んでいる様子はこの場所だからわかるのだと感激しました。遠方にあべのハルカスも望めました。古墳時代と超高層ビルの両方が視界に入るのは、ここならではの光景かもしれません。

 


玉手山古墳の最後は1号墳です。丘陵の北端に前方部があり、視界が開けて二上山・松岳山・高井田方面がしっかり望めました。大和川と石川の位置を確認しながら、古代もこの場所から飛鳥に難波へとつながっていた様子を想像してみました。7号墳同様110mの前方後円墳で、後円部墳頂の方形壇に墓碑があり、丘陵の稜線を利用した造営であることが確認できました。1号墳は白色円礫がテラスやくびれで見つかったとのこと、落ち葉の中を探してみましたが見つかりませんでした。白色円礫は透明感があり、古墳を飾るにはふさわしい材料だったことでしょう。またここでは楕円筒埴輪を2つつないだ埴輪棺が出土しています。 

 昼食後は松岳山古墳に向かいました。道中は大和川の川べりの遊歩道をゆったり歩きました。多くの古墳があった玉手山に対して、松岳山は1基です。130mの前方後円墳・竪穴式石室・組み合わせ石棺です。板状の石を積み上げ墳丘を築造する手法は渡来系だそうですが、石室から少し離れた場所に、穴の開いた板状の石が石室をはさんで向き合い、地面に斜めに突き刺さった状態で設置されています。真横から見ると何とも不思議な光景です。この石の果たす役割はまったく想像できません。設置理由は解明されてないそうなので、メンバーがそれぞれ理由を考える機会になりました。何のために・・・何をしたかったか・・こんなことを考えるのも古墳めぐりの楽しみです。ここでは白色円礫がみつかったので、みんなで集め天井石の上に置きました。いい思い出になりました。

松岳山古墳の立石
松岳山古墳の立石

松岳山古墳の楕円筒埴輪
松岳山古墳の楕円筒埴輪

大和川にかかる国豊橋の中央あたりからはすべて見渡せるビューポイントです。穏やかな川の流れを感じながら高井田に向かいました。柏原市立歴史資料館の展示室の入口は鰭付き楕円筒埴輪(松岳山古墳出土)がお出迎えしています。埴輪がキャラクターに見えていまい、愛嬌のある表情、鰭部分が手を振って「WELL COME!」と言っているように感じたのは私だけでしょうか。埴輪は本来結界を示すオブジェなのに全くそのような感じがしません。同じ鰭付き埴輪でも、五色塚古墳のものとは印象が異なりました。また楕円形に作ったのはなぜか・・・知りたいなと思いました。墳丘に円筒埴輪をたくさん設置するのがたいへんなので、少し変形した楕円のものも置くことがあると聞いたことがありますが、松岳山では違うようです。また斜めに突き刺さった板石といい、改めて松岳山古墳は不思議な魅力がある場所だと思いました。


高井田山古墳から出土した副葬品は見事なものばかりでした。 

その1 火熨斗 その2 ガラスや金の装飾品 その3 銅鏡 

火熨斗(アイロン)は出土が珍しく百済の副葬品とそっくりと聞きました。ガラスの装飾品についても通常のものと違い、金箔をはさんだ金層ガラス玉や、美しい藍色ガラスでネックレス・ブレスレット・アンクレットが展示されていました。金層ガラス玉はベネチアのガラス製品と同じ技法です。1500年前にこの技術があったとは驚きました。ここでしか見られない副葬品の数々はどれも絶品でした。

 何とか住宅開発を免れた高井田山古墳・・・横穴式石室がきちんと残っており、本当によかったと思いました。夫婦合葬の埋葬状態がよくわかり、渡来の埋葬様式であることを知りました。副葬品から男女もわかり、埋葬順も理解できました。 

 高井田山で有名なのは横穴です。岩盤をクワやチョウナで掘り、数人を埋葬した場所です。数か所の横穴に入りました。矩形で6畳くらいも広さがあったように思います。暗い所でこんなにきれいな平面ができるのか、その技術力の高さと根気に敬意を表したいです。壁画に残る線刻画のなかには、私たちが幼児期に描く人物と同じように描かれています。絵で伝えたかったこと・・・その絵に込めた意味を考えるのも謎解きみたいで楽しいです。館長さんは私たちが抱く疑問を心得てみえて、その壺を抑えてわかりやすい説明をしてくださいました。おかげで、柏原の古墳時代を深く知ることができ、古代がますます魅力的になりました。この地を訪問したからこそ、大和川の役割が体感でき、渡来人が残した数々の足跡から多くのことを学べました。

今回のコースは古墳通ならではの見学先の選定で、ツアーにはない企画だと思いました。Oさんが、旅行計画、下見などの準備を重ねてくださったおかげで実現した研修でした。参加できて本当によかったです。充実した研修ができたことに感謝!ありがとうございました。この日の歩数は2万歩を越えました。皆さんといっしょだったからがんばれました。皆さんに感謝!!

高井田山の横穴墓にある線刻画
高井田山の横穴墓にある線刻画

五条野丸山古墳を背景に集合
五条野丸山古墳を背景に集合

2日目。まず、天王寺のホテルから大阪府立近つ飛鳥博物館へ。

周辺には大陸系の遺物を出土する6世紀中葉以降の群集墳(一須賀古墳群)が拡がっています。この博物館の建物は安藤忠雄の設計でも知られています。そびえ立つ塔は黄泉の世界をイメージしているとのこと。

 中では、まず聖徳太子とのその母と后の柩を納める叡福寺の石室が再現されている(「三骨一廟」)のが目に入ります。また、時代が進むにつれて形が変化した4種の石棺も置かれています。下の階では大仙古墳の150分の1模型とともに、当時の人々の生活の様子も見られます。 

 次に、近鉄で奈良県側へ移動。こちらでは、二上山の雄岳(高い方)は向かって右側になります。さらに奈良県最大の前方後円墳である五条野丸山古墳では、くびれ部の横から登って行きました。そして周りの雄大な景色を眺めて、後円部の陵墓参考地のまわりの柵につかまりながらなんとか降りて行きました。


最後の目的地、橿原考古学研究所附属博物館に到着です。多くの『大和の考古学』の展示の中で、まずメスリ山古墳から出土した、人の背よりも高い大型円筒埴輪が目に着きます。いくつかの金製品も気になるところです。また、秋季特別展として『古事記編纂者 太安萬侶』が開催中でした。こうして古墳時代とその直後の世界に思いを馳せながら、充実した2日間の研修の幕を閉じることになりました。

太安萬侶像
太安萬侶像