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志段味古墳群平坦コース

ゆとりーとライン上志段味バス停→勝手塚古墳→西大久手古墳・東大久手古墳→志段味大塚古墳→白鳥塚古墳→東谷山白鳥古墳 所要時間120分目安

 

ゆとりーとライン上志段味バス停から県道を渡り、河岸段丘の緩やかな坂を上ると、左手に木々に覆われたこんもりとした盛土前に出ます。ここが「勝手塚古墳」です。石段を上り正面に立つと、見上げた先に勝手社の本殿が鎮座しています。この古墳の北側には周濠と周堤があり、周堤は県下では唯一高まりを残しています。

 

勝手塚古墳を後にして、再び河岸段丘を上っていくと、前方に2階建ての新しい建物が見えてきます。「しだみ古墳群ミュージアム」です。2019年4月にオープンしました。しだみ古墳群での出土物を展示する資料室や埴輪や勾玉づくりが体験できる施設が整備されています。

 「しだみ古墳群ミュージアム」を出て、さらに1段高い河岸段丘の階段を上ると、一面芝生に覆われた広場に出ます。ここには複数の古墳が並んでいます。

 

 「西大久手古墳」は前方部が短い「帆立貝式」ともいわれますが、最近の発掘調査では前方部が以前の計測より長く、造り出しと考えられる部分を持つことがわかってきました。くびれ部からは巫女形埴輪や鶏形埴輪が、前方部前端中央からは、馬形埴輪が出土しています。馬蹄形周濠が目視でき、目をとじると東谷山を背景として、古墳が浮かんでくるようです。

 次は、「東大久手古墳」です。この古墳も帆立貝式古墳ですが、今の姿は前方部が削られ、後円部の2段目もほんの一部を除いて削られています。この古墳からは、円筒埴輪や須恵器が出土しています。

 東大久手古墳から歩道を進み、緩く右にカーブすると、正面に円錐台の古墳が見えてきます。これがこの芝生に覆われた広場でのシンボル的な古墳である「志段味大塚古墳」です。

 この古墳も前方後円墳の前方部が短い帆立貝式古墳です。前方部1段、後円部2段で、高さは約7mであり、1500年余前の姿を復元しています。この古墳の頂には、2つの埋葬施設が確認されており、大正期に発掘された第一埋葬施設から甲冑・太刀・鏡・馬具などが出てきました。墳頂やテラス部分には円筒埴輪や朝顔形埴輪、蓋形埴輪などが見つかっており、造り出し部には鶏形埴輪や水鳥形埴輪が配置されていたと考えられます。今見る古墳もその姿を再現して、見せてくれています。

 芝生の広場を後に、住宅街の道を東へ、10分ほど進むと道が途切れます。足を右に向けると、木々に覆われた盛土前に出ます。しだみ古墳群の「祖神」的存在の古墳である「白鳥塚古墳」です。全長115m。愛知県で第3位の墳長、後円部高さは15m余の前方後円墳です。大きさもさることながら、古墳のかたち・墳丘の装飾などをみると、時の権力を握っていたヤマト王権との強いつながりが想像できます。4世紀前半の築造と考えられ、古墳に敷かれた角礫や円礫の上に石英の小礫が撒かれていたようで、さながら白く光り輝く古墳に見えたことでしょう。一説では「白鳥塚」の名前の由来とも言われています。

 

 「白鳥塚古墳」の雄姿を眺め終えたら、車に注意して、道を渡ります。舗装されていない細い道を通り、小さな広場に出ます。そこには雪国で作られる「かまくら」のような形をした古墳があります。「東谷山白鳥古墳」です。

   

 6世紀末から7世紀初めに造られた、多数の小規模な古墳が密集する「群衆墳」の1つです。幸い、横穴式石室がほぼ完全な状態で残っています。その石室からは、大刀・刀子・馬具・土師器・須恵器などが出土しています。

 石室の開口部から中を見ることができ、玄室・羨道などを確認できます。古墳時代も後期あるいは終末期になると、前方後円墳のような1人のための古墳から、家族などの複数の人のための古墳へと変わってきたといわれます。

 

ゆとりーとライン「東谷橋」まで徒歩3分、JR高蔵寺駅へは徒歩10分程度で出られます。