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東谷山山頂コース

東谷山白鳥古墳→尾張戸神社古墳→中社古墳→南社古墳→東谷山27号墳→東谷山フルーツパーク 所要時間120分目安

 

 尾張戸神社古墳は、東谷山の頂上にあるため登らなければなりません。その登山ルートは4つあります。

東参道ルート、南参道ルート、東谷山フルーツパーク散策路そして車道です。今回はこのうちの車道を上ります。距離は長いのですが、階段がないことおよび緩やかな上りであることから、このルートを採りました。下山は中社古墳などの古墳を見学するため、東谷山フルーツパーク散策路を下ります。

 

 車道の上り口は、ゆとりーとライン東谷橋バス停から国道155号を東へ進み、東谷山白鳥古墳を通り過ぎてすぐの右手に入るコンクリート道です。両側は住宅が立ち並び、静かな佇まいです。

 緩やかな上りとは言え、息遣いが粗くなってきました。上り始めて15分も経過する頃に、コンクリート道は途切れて未舗装の山道に入ります。ここまでの緩やかな上り道とは異なり、平坦な山道ですが、長い道を進みます。このつづら折りの山道を歩くと、「東谷山と志段味古墳群」の説明板前に出ます。この説明板から「尾張戸神社古墳」まではきわめて近い距離です。そしてまもなく前方に、木立に覆われた尾張戸神社の本殿が見えてきます。正面に立ち、まずは拝殿で参拝をします。見上げると、扁額が焼き物であり、昭和17年10月と日付が焼かれています。墳丘の上に名古屋市と瀬戸市の市境が通っており、瀬戸で焼かれたものかと想像しました。祭神は、尾張氏の先祖神である天火明命・天香語山命・建稲種命です

 古墳は径27m余りの円墳です。神社の横及び裏手に廻ると、円墳が確認できます。この古墳は埴輪がない、石英による墳丘装飾などの特徴から白鳥塚古墳と築造された時期が近いと考えられ、被葬者は白鳥塚古墳の被葬者となんらかのかかわりをもった人物かもしれません。

 神社の左手には展望台があり、遠くに養老山地が見え、心地よい風が疲れを忘れさせてくれます。

 

 

 続いて、「中社古墳」です。この古墳は、墳長63m余の前方後円墳です。古墳下の登山道から見上げると、左手(北側)が後円部で、右手(南側)が前方部となります。古墳の側面には、ところどころ葺石と思われる角礫がむき出しの状態で見られます。また、この古墳からは、円筒埴輪、家形埴輪や盾形埴輪が出土しています。とくに後円部北側の斜面裾に置かれた埴輪は、築造間もない時期に土砂に埋まったため良好な状態で出土しています。

 その当時を連想させるためでしょうか、現在も葺石とともに、レプリカの円筒埴輪が置かれています。この古墳は、白鳥塚古墳に続く首長の墓と推定されています。

 中社古墳から、南社古墳までの長い階段を下ったり、上ったりします。この東谷山の森には、野生のリス・ムササビ・ノウサギ・タヌキなどが生息しており、その保護のためおよびペットへの感染を危惧して、ペットの持ち込みを自粛するようにとの要請板が掲げられていました。ここまでは鳥の鳴き声しか聞こえなかったのですが、まだまだ名古屋市内でもこれらの野生動物が生息していることをあらためて知りました。

 

 さて、「南社古墳」ですが、径39m余の円墳です。この古墳からも、円筒埴輪、盾形埴輪が出土しています。これらの埴輪は、中社古墳のものと特徴が共通するそうで、一体的に製作されたようです。現在は、古墳の裾にレプリカの円筒埴輪が置かれています。三角形の透かし孔が印象的な光景です。この古墳も、白鳥塚古墳―尾張戸神社古墳のつながりと同様に、中社古墳の被葬者と何らかのつながりを持った人物と考えられています。

 登山道を下ります。木々の間から東谷山フルーツパークが見えてきました。そして間もなく登山道脇に「東谷山27号墳」の説明板に気づきます。大きな石が4つ、5つ転がっている様に見えます。説明板には、「右にある石組みは、東谷山27号墳の埋葬施設である横穴式石室で、もとは墳丘で覆われていました。以下略」と書かれています。墳丘で覆われていたイメージは、東谷山白鳥古墳を頭に描けばいいのでしょうか。大きな石は、天井石や側壁でしょうか。東谷山の裾野には、このような横穴式石室をもつ古墳が50基ほど築かれたそうです。

 

 

 登山道が切れ、「東谷山散策路」の入り口に出ました。前方にボートの浮かぶ池が見えます。静かな池には、家族連れがボートを楽しんでいます。振り返ると、東谷山がなだらかな木々に覆われた姿を見せてくれています。