名鉄・瀬戸線 喜多山駅→小幡茶臼山古墳→小幡長塚古墳→小幡南島古墳→瓢箪山古墳→守山白山古墳
名鉄・喜多山駅に降りて、北側に出ます。そのまま少し上り気味の道を北に進み、名二環に架かる北山橋を渡ります。下を見下すと、名二環の中央にネットが張られたような光景が見られます。かつて、ここには墳長45m、後円部径32m、前方部27m余の前方後円墳「池下古墳」がありましたが、名二環の道路工事に先立ち、全面発掘調査しその後消滅してしまいました。
その北山橋を渡ってすぐ右手を見上げると、肌をむき出しにした崖が目に入ります。これが「小幡茶臼山古墳」です。築造は6世紀中ごろ~後半と推定され、墳長60m、後円部径32m、前方部35mの前方後円墳です。墳丘が削られ、今見上げる姿からは全く想像もできません。埋葬施設は横穴式石室で、その中から大刀・馬具・武具・装身具が出土しています。因みに、この前方後円墳としては、尾張地区最後期のものだそうです。
続いて、北山橋を渡って戻ります。そのまま西に進むと、家々の間から木立が見えます。細い脇道を入っていくと、古墳の姿が現れます。「小幡長塚古墳」です。
墳長74m、後円部径42m、前方部48mの前方後円墳です。この古墳は、盾形の二重周濠を持っていたと考えられていますが、今は消滅しています。そして周濠からは、円筒埴輪以外に、家形埴輪・動物埴輪・人物埴輪などが出土しています。築造は6世紀前半と考えられます。周囲に住宅開発があり、このあたりのいくつかの古墳は滅失しています。
これまでの3つの古墳は、地理的に、近くに築造されていますが、次の古墳までは少しだけ距離があります。小幡長塚古墳から、守山東中学を目指します。守山東中学の広い運動を見ながら、菊華高校との間の道を西に向かいます。
まもなく守山区役所前に出ますが、そのまま通り過ぎます。通り過ぎた交差点には、「道標」が立てられています。「従是北竜泉寺道」と彫られています。江戸時代に立てられたようです。
さらに西に進み、守山郵便局の角を左折すると、前方右手奥に木立が見えます。正面南側に回り込みますと、白山神社の幟が立っています。ここが「小幡南島古墳」です。標識も案内板もありません。径33mの円墳であり、白山神社の本殿下がこの古墳のようです。本殿の周りを一廻りしましたが、言われてみると、確かに円墳のように感じました。
再び、区役所前の通りに戻ります。そしてそのまま西に進み、守山小学校を目指します。小学校前を通り過ぎてすぐ、細い道を左折します。右手に森が見えます。これが「守山瓢箪山古墳」です。周囲は石柱で囲われ、立ち入りは禁止です。しかも木々が鬱蒼と茂っていて、墳丘の一部が見える程度です。墳長63m、後円部径32m、前方部58mの前方後円墳で、前方部が後円部よりも大きい特徴があります。また、墳丘からは、円筒埴輪・須恵器が採集されています。このことなどから、築造は6世紀前半と考えられています。かつては古墳の周濠があったそうで、現在は一部が公園になっています。
瓢箪山古墳から、守山白山古墳に向かいます。自衛隊・守山駐屯地があります。広い敷地の南側を歩き、ゆとりーとラインの守山駅のガード下をくぐります。
さらに西に向かって進むと、河岸段丘が落ち込む縁に出ます。その縁を下りないで、左手に進むと、これまたこんもりとした森の前に出ます。この森が「守山白山古墳」です。墳長98m、後円部径約50m、後円部35mの前方後円墳です。後円部に白山神社の社殿があり、前方部が低いこと、および前方部幅が広がらない特徴を持っています。説明板によると、築造は、「未調査のため埋葬部の構造や副葬品は不明であるが、前方部の低い墳形や出土している埴輪の検討から古墳時代前期(4~5世紀)と考えられる。」(名古屋市教育委員会)さらに、「上志段味の白鳥塚古墳に匹敵する市内でもっとも古い大型古墳のひとつである。」と書かれています。