春日井 神領~高蔵寺コース

領駅→高御堂古墳→神領第1号墳→三明神社古墳→大留荒子古墳→親王塚古墳→天王山古墳→気噴7号墳→高蔵寺3号墳 所要時間:すべて巡ると3時間~4時間程度

 

 JR神領駅南口を出て、まっすぐ庄内川に向かって進み、神領町の交差点を渡り右折します。しばらく進むと、県道の左手にこんもりとした木立の公園に出ます。高御堂公園であり、「高御堂古墳」はこの公園の一画にあります。4世紀前葉に築造という説もある、墳長63m余の前方後方墳です。前方部3段、後方部2段であり、各段の平坦部には数メートル間隔で赤彩の壺形埴輪が並んでいたと推定されており、当時は古墳の大きさもさることながら、埴輪も目立ったことだろうと思います。

 埋葬施設は、後方部に竪穴式石槨が確認されているそうですが、内部は未調査です。この古墳、犬山市東之宮古墳、小牧市宇都宮神社古墳と並ぶこの地方の希少な前方後方墳です。

 高御堂古墳から瑞雲寺の横を通り、庄内川に向かって進み、堤防脇の道を左に進むと、正面に鳥居が見えてきます。三明神社であり、神社手前の左側に「神領第1号墳」がありますが、現在は平らな草の生えた地となっています、傍に立っている説明板で古墳を知ることができます。かつて発掘調査が行われ、横穴式石室が確認され、土師器や須恵器が出土しましたが、その後埋め戻されています。

 

 そして、三明神社の本殿後ろに盛土された古墳があります。「三明神社古墳」です。神社の本殿は古墳斜面に建てられており、古墳と言われないと気付かないかもしれません。墳長15m余の円墳であり、埋葬施設は横穴式石室と思われます。隣接する幼稚園から、子供たちの元気な声が聞こえてきます。

 

 三明神社を後にして、神領南交差点を北東に進み東名高速道路のガードをくぐると、前方右手に公園が見えてきます。「大留荒子古墳」はこの公園内の一段高いところにあります。東方向を見ると、葺石で葺かれた横穴式石室が目に入り、南方向に向く開口部が分かります。近づくと、周囲は草が生い茂る中、墳径10m余、墳高2.5mの小ぶりな感のする円墳が復元されています。もともとの場所から、1989年にこの荒子公園に移設されたそうです。築造は7世紀前半と考えられます。

 公園を出て、内津川を渡りそのまま道なりに進みます。道が北方向に曲がってしばらく行くと、左手の建物の横に鳥居が見え隠れします。神明神社の鳥居です。この神社の拝殿横に「親王塚古墳」があります。

 古墳横の説明板によると、「親王塚」という名称は、後醍醐天皇の皇子である宗良親王あるいは護良親王の遺品を埋葬したとの地元伝説に由来していますが、古墳の築造時期と異なるため直接の関連はないとのことでした。

 古墳は、墳径14m余、墳高3.5m余の円墳で、横穴式石室を持っています。また、石室内からは、頭骨の一部が出土し、被葬者は2人と考えられています。なお、この古墳の築造は、6世紀末から7世紀初頭と考えられています。

 親王塚古墳のある神明神社を辞し、いったん庄内川方向に戻り、川に沿って北東に進みます。左手に天導塚公園の遊具が見え、その奥にこんもりとした盛土が見えます。これが「天王山古墳」です。

 現在は草に覆われていますが、径34mの円墳です。墳丘は3段築成で、葺石や周溝が確認されたそうです。段築の平坦面には、赤彩の壺形埴輪が並べられていたと考えられ、築造は4世紀と考えられます。

 天王山古墳から、再び県道に戻ります。道の両側には、比較的新しい家が立ち並んでいます。気噴町の交差点の次の信号を右折し、1本目の道を左折して上り坂の道を進むと、右手に公園が見えます。山本公園です。この公園の1段高いところに「気噴第7号墳」があります。この古墳も現在は草が生い茂る土盛りですが、径12m余の円墳です。墳頂部から、土師器及び須恵器が出土しています。築造は7世紀と考えられます。周囲の新しい住宅と肩を並べているかのように見えます。

 再び県道に戻り、高蔵寺方面に向かいます。このあたりも道の両側は新しい家が並ぶ界隈です。中央線の列車の通過を左手に見ながら、繁田川および新繁田川を渡ります。

 なおも進み、高蔵寺駅南の交差点を通過して、高蔵寺町5の交差点を右折します。前方右手に霜畑公園が見えます。  

 この公園内を横切り、しばらく進むと、右手の住宅が途切れたところに、草で覆われた盛土が見えます。「高蔵寺第3号墳」です。周囲が鎖で囲われており、中には入れませんが、径15m余の円墳であり、埋葬施設はやはり横穴式石室です。中から須恵器が出土しており、築造は7世紀初頭と考えられています。古墳から数歩下がって古墳を眺めると、この古墳から背景の庄内川と東谷山との距離が近いことを実感します。