2024年1月19~20日 葛城市、橿原市、宇陀市に古墳や、万葉歌碑を訪ねました。

 まずは近鉄御所市駅の一つ北にある忍海(おしみ)駅すぐ西にある角刺(つのさし)神社に詣でました。ここの祭神は飯豊青命(いいとよあおのみこと)です。日本書紀(清寧天皇五年一月の条)では、

 

 倭辺(やまとべ)に見が欲()しものは忍海(おしぬみ)の この高(たかき)なる角刺宮

 

と歌われています。飯豊天皇(始めての女帝?)として朝政を執られましたが、わずか十カ月余りで崩御され「葛城埴口(はにくち)丘陵」に葬られました。ここへは角刺神社から北へしばらく行くとたどり着きます。北花内(はなうち)大塚古墳と呼ばれ、5世紀末から6世紀初頭の墳長約90mの前方後円墳です。

さらに北寄りに進んでいくと、近鉄新庄駅のすぐ横にある柿本神社に着きます。ここの歌碑は御所小学校の傍のものと同じく次の歌が刻まれています。

  

 春柳葛城山に立つ雲の 立ちても居ても妹をしそ思ふ                  (巻112453



 次に近鉄吉野線の岡寺駅へ。東には五条野丸山古墳が見え、西に行くと沼山古墳や益田岩船があります。沼山古墳(6世紀後半、直径18mの円墳)は右片袖横穴式石室をもち、玄室はほぼ正方形、天井はドーム状です。副葬品にはミニチュア炊飯具セットも含まれています。


 益田岩船は小高い山の上にある巨石です(東西11m、南北8m、高さ4.7m)。益田池碑の台石ともいわれ、松本清張の小説ではゾロアスター教での拝火壇と見なされています。謎めいた巨大な石造物です。



  さらに翌日、宇陀市を訪問。「元伊勢」の一つ阿紀神社では次の歌碑がみられました。

 

  阿騎の野に宿る旅人うちなびき 眠()も寝()らめやも古(いにしへ)思ふに                                                        

                                 (巻146                           

 (阿騎野に夜を明かす旅人は、おしなべて寝入ることなどできようか。これほど昔のことが思われるものを。)


 また、かぎろいの丘、人麻呂公園でも歌碑や石像がみられました。

 

 東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えて かへり見すれば月傾きぬ 

                           (巻148

              [かぎろひ――厳冬の晴天の日の出前に東の空を彩る陽光] 


 南向きに馬に乗る人麻呂は、首を90度回して東を向いています。このあと首を180度回転すれば西方にある月を眺めることができるでしょう。かぎろいの丘では、一年で最も寒い頃の日の明け方、茜色の曙光を見るためにおおぜいの人が集まるのだそうです。

 

 やや多めの万葉歌碑でしたが、楽しんでいただけましたでしょうか。

 

『直木孝次郎と奈良・万葉を歩く 春夏』(吉川弘文館、直木孝次郎2009

『直木孝次郎と奈良・万葉を歩く 秋冬』(吉川弘文館、直木孝次郎2008

 奈良県立万葉文化館(奈良県高市郡明日香村飛鳥)の展示        を参照しました。

 

                                     (Y. O崎)