ー 南洋の貝に魅せられてー

 第2話

  

 弥生時代の農耕社会では、豊穣を祈る祭祀に用いた〝うずまき文様〟を、首長層は貝輪に求めました。主に、南洋に棲む大きな巻貝ゴボウラやイモガイの螺構造(うずまきデザイン)を生かした貝輪です。

古墳時代の前期になると装身具ではなくなり、呪力を持った儀器として古墳に副葬されるようになります。古墳時代のものを貝釧(かいくしろ)と言います。貝は、ゴボウラやイモガイの他にオオツタノハ、スイジガイなどが使われました。

貝釧は腕輪とは思えない形に変身し、材質が石に変わります。貝の大きさや構造という制限がなくなり、石製の釧は洗練されたというか、幾何学的ともいえる文様のデザインに生まれ変わりました。腕輪形の石製品(せきせいひん)は鍬形石・車輪石・石釧の3種類あり、最上級の古墳に副葬されています。 

石釧(いしくしろ)は前回ご紹介したイモガイが元になったと考えられています。イモガイをヨコ割りにした貝輪は弥生時代から首長層の女性が身につけていたもの。


 大和古墳群のなかの下池山古墳の石釧はガラス質凝灰岩製。一本の沈線が美しい。

 


 桜井市にある池の内5号墳の石釧。見た感じでは緑色凝灰岩製でしょうか。縦に細かく沈線をいれていますが、イモガイは巻貝の縱肋(縦の筋)が目立たない貝です。二枚貝や笠貝の放射肋を想起させます。

石釧は腕輪にしても良さそうですが、重いのを生前に使用ていたのでしょうか。次回は車輪石の元になった貝です。

 

(もずうり)



 第1話

 

 いにしえのアクセサリーは土(焼き物)や石、動物の骨など身の回りの自然素材でつくられています。

干潟で容易に採れる貝も素材の一つです。ところが、遥か遠く、南西諸島などの温暖な海域で生息する貝でつくられた腕輪が全国各地から出土しています。貝製の腕輪を考古学では〝貝輪〟または〝貝釧(かいくしろ)〟といいます。

縄文時代に作られ始めた貝輪は、形や価値観を変えながら弥生時代、古墳時代まで作られ続けました。

使われた貝は多種ありますが、古墳時代に主流な貝を紹介します。

 


 【イモガイ】

主にサンゴ礁に棲む里芋のような姿の巻貝ですが、毒を持ち食用にはならないそうです。

写真は安土城考古博物館の特別展「馬でひも解く近江の歴史」の展示品です。


 馬の牧場が初めて設けられたのは古墳時代中期が始まる4世紀末から5世紀初頭。騎乗用の馬はアクセサリーをつけて飾りたてていました。貝の螺塔部を雲珠(うず)という金具に使っています。


 巻貝の切断面はうずまき模様。うずまきのデザインは弥生時代の銅鐸や祭祀土器に見られます。稲作とともに渡来した呪術的な文様と考えられています。

うずまきデザインの大きな貝を求めたのはその貴重性と、生命に関わる切実な想いがあったからでしょう。

(もずうり)