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コラム・歴里の風 「天変地異の歴史に学ぶ」

    『日本書紀』で最古の地震記事は、允恭天皇の時で、尾張に関係する事件も。先代の天皇が死去し、遺体を安置して殯(もがり)を営んでいたら、地震が起きたので、尾張連吾襲(あそ)に状況を見に行かせた。ところが担当の豪族は酒宴の最中。吾襲は報告の帰り道、殺害されたという内容。別の史料で吾襲は允恭の「寵臣」とされ、側近のような立場だったとみられる。

 

    允恭は中国に使いを送った「倭の五王」の一人。中国史書によると、5世紀半ばに実在したとみられる。志段味大塚古墳(名古屋市守山区) は帆立貝式で、二つ埋葬施設が確認されており、後円部の南東側に葬られたのは、尾張連吾襲という説がある。このころ地方の有力豪族は、畿内にも拠点をもち、王権に奉仕していたとみる研究者もいる。志段味大塚古墳は雄略天皇の5世紀後半、造られたとみられるが、古墳づくりは年数を要するから、雄略の父・允恭時代の人物が出身地に改葬されたとの見方もできる。

 

    南東側の埋葬施設は大正時代、発掘調査され、5世紀後半の最新式の武具・馬具が副葬され、被葬者の顔の上辺りに、5つの鈴が付いた「鈴鏡」が置かれていた。以前、名古屋市博物館で尾張氏と志段味古墳群の特別展が開催され、そのイメージキャラクターが「あそくん」。吾襲にちなんだもので、騎馬のかわいい武人姿だった。体感!しだみ古墳群ミュージアムには復元されたリアルな像が展示されている。

 

    1月1日、能登半島地震は甚大な被害をもたらした。50年ほど前、金沢で勤務していた折、能登を一周した。半島最先端・珠洲の「狼煙(のろし) の灯台」眼下の大海原は山国育ちには、とりわけ印象深かった。震源域の珠洲 で、かつて原子力発電所が計画された。〝凍結〟にはなったが、建設されていたならば、東日本大震災の福島第1原発のような深刻な事態を招いたことは確かであろう。

 

 2世紀前半、濃尾平野では気候変動による洪水に加え、養老町付近で発生した巨大地震で、弥生社会が大きく変革したといわれる。遺跡の調査や古記録からみると、列島は度々、「なゐ」(地震の古語) に襲われてきた。「地震大国」の宿命とはいえ、最新の知見・技術により、予知、防災、復旧・復興態勢づくりを着実に進めるほかない。天変地異の歴史に学び、自然への畏敬・謙虚さを忘れてはならない。

(岡村)