2024年3月11日(月)乙訓(おとくに)古墳群めぐり

天候に恵まれ、青春18きっぷを使用してお得に乙訓古墳群を巡りました。最初は恵解山(いげのやま)古墳! 乙訓古墳群の中で規模が最も大きく、古墳時代中期の周濠をもつ前方後円墳です。埴輪・葺石・武器埋納施設の様子がよくわかるように整備されていました。乙訓の地域全体を表した立体地図は古墳群の全容の把握に役立ちました。山崎の戦いでは明智軍が陣を構えた場所でもあり、前方部に立って天王山を眺めながら歴史ある場所だと再認識しました。


阪急電車で移動後、向日市にある元稲荷古墳を目指しました。石畳み参道は趣があり、緩やかな坂で進んでいくと丘陵地の頂上部に古墳はありました。古墳時代初期の前方後方墳で、特殊器台形埴輪や壺形土器も出土しました。墳頂には配水施設が設置された跡が残されたままで、古墳愛好者としては少し残念に思いました。

丘陵の尾根をつたって五塚原(いつかはら)古墳に向かいました。住宅地に囲まれているため、気づきにくい場所にありました。古墳時代初期の前方後円墳で、箸墓古墳に共通する段築形式(1/3相似)なので興味をもっていました。数年前の大規模台風から古墳内立ち入り禁止になりました。墳頂に立ち前方のバチ型の様子を体感してみたかったと思いました。


道が細くまっすぐでないこともあり、地図を見ていても心配になることがありました。道を間違えて体力を奪われることのないように出合った方々に声をかけて確認しました。高齢者の団体がうろうろと歩いているのは珍しかったかもしれませんが、自転車を降りて一緒に次のところまで案内をしてくださった方や「竹の径に行ってきた?」と声をかけてくださる方など市民の皆様に支えられました。ありがとうございました!

 

桓武天皇皇后陵を見学し、竹の径に入りました。

竹林と言えば嵯峨野が有名ですが、ここは道のりも長く、いろいろな組み方の竹垣を楽しみながら寺戸大塚古墳に着きました。古墳時代前期の前方後円墳で規模も大きく立派ですが、竹の生育のために古墳の土が大量に削平されていました。「古墳も大事だよ・・・」と言いたい気分になりました。2つの竪穴式石槨からはそれぞれに立派な副葬品があったそうですが、築造当時の様子と今の状態とにはギャップがありました。 

 

竹の径を進めていくと竹林公園です。さまざまな竹が茂っていて静寂の雰囲気が疲れを癒してくれました。素晴らしい雰囲気の中の茶室で生菓子とお抹茶をいただきたかったところですが、残念ながら飲み物は自販機のみでした。


坂を下りながら、古墳時代後期の前方後円墳の物集女(もずめ)車塚古墳に向かいました。道路で削平された部分がありましたが、それが幸いして玄室から続く排水溝の様子がわかりました。排水溝に使われた石材は表面が平らに割ける性質をもつ石が使用されていました。石種はわかりませんが、目的に合った石を選び工夫していたことがわかりました。緑の芝が古墳の表面を覆い、当時の様子を味わえたように思いました。今回訪れた古墳はどれも大型で、築成がよくわかる構造でした。



名前しか知らなかった乙訓古墳群の素晴らしさを実感できました。仲間の協力・地域の皆さんの助けをいただいて全員無事に帰名しました。翌日は大雨でした。幸運に恵まれ充実した時間が過ごせました。