メンバー3名による古墳巡り。10回目の今回は、京都府木津川市の椿井(つばい)大塚山古墳を訪ねました(2025年4月8日)。
近鉄奈良駅からJR奈良駅へ向かう三条通の途中に、第9代開化天皇(崇神天皇の一代前の天皇)の春日率川坂上陵(かすがの いざかわの さかのえの みささぎ、念仏寺山古墳)がありました。5世紀前半の前方後円墳(墳長約100mで、すぐ傍では高層ビルの工事中、やがてはビルの谷間の古墳となるか。
JR奈良線を上狛(かみこま)駅まで乗り、徒歩で山城郷土資料館へ向かう。その途中に高麗(こま)寺跡がありました。高麗寺は4~7世紀に朝鮮半島北部を支配した高句麗から渡来した氏族狛(高麗)氏と関連する寺院で、その広大な建物跡からは往時の興隆の様子が偲ばれました。
さらに行って山城郷土資料館に到着。資料館の駐車場奥にはソメイヨシノと枝垂れ桜の木がありその傍には万葉歌碑がありました。
をとめ等が績麻(うみを)懸(か)くといふ鹿背(かせ)の山
時の往(ゆ)ければ京師(みやこ)となりぬ 田辺福麿歌集 (巻6-1056)
(少女たちが績(う)んだ麻をかけるという桛(かせ)ではないが、
鹿背の山は時が移りかわって今や都となったことだ。)
ふるさとミュージアム山城として郷土資料館では、銅鐸や銅鏡に関する展示にも出会えます。
郷土資料館の屋上からは裏山にある茅葺小屋や数基の小さな古墳へ行くことができました。

資料館見学とランチの後、北へ進んでいくと、目当ての椿井大塚山古墳(全長約175mの前方後円墳、3世紀後半)に着きました。この古墳は古墳時代初頭の代表的な古墳で木津川の西に伸びる低丘陵の末端に築かれております。ここは残念ながら明治29年の国鉄奈良線の敷設のため墳丘が東西に分離されました。その後の昭和28年の拡幅工事で粘土槨床の竪穴式石室が偶然見つかり、銅の鏃や鉄器類とともに40面近い銅鏡(ほとんどが三角縁神獣鏡)が出土しています。
惜春のまなこ分断の椿井塚
よみ人知らず
椿井大塚山をあとにして、棚倉駅ちかくの山城総合文化センター内の図書館へ。そこには椿井大塚山古墳から出土した鏡の特別展示室があり、三角縁神獣鏡をまじかにながめることができました。
帰路棚倉駅ではツバメのかわいい駅長さんが我々を出迎えてくれ、疲れた体を癒してくれました。
新生イケ麺クラブ